グレ君が逝ってから、あっという間の1週間。
死んだ直後は腑抜けて呆然としてしまったけど、数日後には平常に戻れた。
「通い」だったから接触が少なかったせいもあるし、マーがいてくれるおかげでもあるんだけど、大きいのは火葬にする時気持ちの区切りがついたからだと思う。
葬式というのは死んだ人のためではなく、残された側を慰めるためにあるというけど、本当にそうだなぁと実感。
改めて先週を振り返ってみる。
26日(火) この日はまだグレが死ぬなんて想像もしてなくて、ネコ疥癬の時みたいにしばらく安静にしてたら元気になるだろうと思っていた。
それでも食欲のないのだけは心配だったから、あいつの大好物のササミとカニカマを買って帰ったのだ。
そして例によって不思議な光景を見た。
家の前まで来た時、玄関の横と家の向かいに見知らぬネコがいる。
確かにウチの近所はネコが多いけど、そんな時間、そんな場所にネコがいたことは一度もないし、あれからもない。本当にその日一回だけ。
ミミが事故死した後も見知らぬネコが何匹も訪ねてきたけど、この日の二匹ももしかして見送りにきてたんだろうか。
27日(水) 結局ササミに口をつけることもなく、朝、グレ君は死んだ。
この日、マーは何度もグレの顔を覗き込み、その度にベランダに飛び出していった。
グレはいつもベランダで日光浴をしてたから、ここに横たわっているのはグレではなく、本物はベランダにいると思ったのかもしれない。
28日(木)
昼過ぎ、火葬場へ。
祭壇の前に安置して、係の人がお経をあげてくれた。
今まで何匹も見送ってきたけど、こんなにちゃんとしたお経をあげてもらったのって初めてだ。
多分グレはわけがわからずきょとんとしてるだろうなぁと思いつつ聞き入っていたら、とても気分が和らいできた。
その後焼香までしたんだよー。
タバコの煙が嫌いだったグレは、その瞬間飛んで逃げたのではないかと思う。
それから焼却炉の前で最後のお別れ。
骨になるまで約1時間。
建物の中で待っていてと言われたけど、外をぶらぶらして待つことにした。
山の中で、とても静か。
聞こえるのは鳥の声と羽ばたき、小さな滝の水音と微かなボイラーの音だけ。
手前が待合室で、左の小さな建物が焼却炉。
中央に見えるのは滝です。
近付いてみた。 見事な崖やガレ場もあって、思わずグレを置いて登りたくなってしまったわ。
六甲の山奥で育った私は、こういう獣道すらない山を見ると全身がうずうずしてくるのだ。
都会より、海より、田園より、やっぱり山が最高にいい。
1時間かけて癒しに癒されたおかげで、骨になったグレとも落ち着いて向き合えた。
それから 清め塩なんかはもちろんしないので、きっちり連れて帰ってきたみたい。
日曜日くらいまで、夜になると階段の踊り場(グレのお気に入りの場所で、部屋からは見えない位置にある)で、毛づくろいをしてるような音がしてたし、マーは時折ベランダ側の窓の隙間(いつもそこからのっそりと入ってきた)を凝視してたし。
ところがニゴウもクロタンも四十九日くらいまで気配があったのに、グレ君の気配は初七日も待たず、早くも消えてしまったのだ。
それだけ心残りもなかったってことか?
それとも生前と同じく、家に寄り付かずにその辺をほっつき回ってるのか?
幸せな猫生だったのかどうかはわからない。
ノラ猫の平均寿命の3歳は確実に越えていると思うが、室内飼いネコの16歳には遠く及ばない。
もっと生きたかったか、満足していたか。
本心を知り得ないだけに、飼い主はいつも悩む。
実は私は、ニゴウやクロタンにもっと長生きして欲しかったと思う一方で、もっと早くに逝かせてやったほうがよかったのではないかという思いも消せずにいるのだ。
多分この先もずっと、答えは出ない問いを繰り返し続けるんだろうなぁ。